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ピーター・クック講演会レヴュー ─ 破壊しに、と彼は言い、お好きにどうぞ、とあなたは答えた
松原 慈
2008年が終わろうという気配。12月の最初の週。 登場/Ad Hoc Action
待ち合わせ、恵比寿ウェスティンホテルに現われたピーターの、シルクハットと真っ黒いコートに、日本の緑色のキャブは車高が低すぎるようだ。そして、ピーターはキャブを降りるたび、自動扉を手で丁寧に閉める。 レコードハンティングを終えた、その日の東京での講演は、工学院大学のホールにて。収容人数は270。満席なので観客の一部は立ち見だ。間際に到着した私も、舞台端窓枠に腰掛け、始まりまで観客を観察する。自然と、イギリスで学んだ学校、バートレットのレクチャーを思い出す。幾度となく、数えることすら不可能な回数で、ピーターが、エスタブリッシュした建築家から若い建築家までを毎週のように呼び続けた、あのレクチャーのこと。学生はその前をある数年間、通り過ぎて行く。一番前の席で、軽い頬杖で、一番熱心に耳を傾けるピーターの後ろ姿。ロン・アラッドのコンピュータのデスクトップと喋り方。シンガーのようなザハ・ハディドの金髪と白い毛皮のコート。マッシミリアーノ・フクサスの完璧なスライド。各国の若い建築家たちが堂々と見せる、まだ建っていないユニークなプロジェクト。毎週毎週続くそれ。歩いて10分のAAスクールに、トーヨー・イトーがレクチャーに来れば、ピーターはそちらでも同様に席に着く。ピーターという人は、何時間でも話ができるし、何時間でも人の話を聴く。観察する、それはとても熱心に。コメントする、ときに精神分析家のそれのように。 講演の始まりから終わり──冒険/Friendly Alien
講演の始まり、静けさはすぐに消える。 続いて、ピーターにとって、実質的に最初の実作にあたるのは、2003年に竣工したオーストリア・グラーツのクンストハウス(芸術センター)[図2]。フレンドリー・エイリアン。グラーツの街には、完全なかたちで旧市街地が残る(1999年ユネスコ世界文化遺産に登録)。2003年欧州文化首都に指定され、街には屋外現代美術彫刻が散在しているため、不可思議なオブジェやイベントが、クンストハウスの出現を歓迎した。たとえば、中央、シュロスベルクの丘に立つ時計塔の背後には、まったく同じ大きさで真っ黒い時計塔の影が立つ[図3]。 フレンドリー・エイリアンに関連させて、昔の、アーキグラムのプロジェクトが、いくつか紹介される。リファレンスとしてのアーキグラム。「とにかく、チャレンジが好きだ。失敗したら、それはしまっておいて、別の方法を試せばいい。そういうほうがいい」。アーキグラムは未来史ではなく、未来を生きるのはピーターその人である。そして、最近のドローイング、ベジタブル・アーキテクチャー。合間に、二つのサングラスを重ねてかけた、若い日のポートレイト。なんのプロジェクトかはわからない。 知性とは保険のようなもの。知性は、好奇心と経験によってのみつくられる。知的冒険が続く限り、知性が縮小することはない。冒険を中断するぐらいなら、知性の存在など忘れてしまったほうがましだ。いずれ、精神が年老い、冒険が続けられなくなったとき、バックポケットから出してきて、テーブルに並べて楽しめばよい。保険としての知性をもつとき、なにを怖がる必要があろうか。「トライしてみればよい」と、ピーターは言う。想像力がなくなることのほうを恐れるべきだ。 ピーター・クックという教育者──建築意識/Ambiguous Awareness
ピーターは、視力がよい。言い換えれば、視界を遮るものに敏感である。
ピーターの教育者としてのキャリアは、1964年、27歳のときにArchitecture Associationで始まり。当時のピーターは、とあるコンペに勝ったばかりで、そのことを明記して、自分をクリティークとして招かなくてよいのかと、母校へ一通の手紙を書いた。招かれた。 ピリオドは、なし──かわりに動き/Absence in Motion
そして、いま、70歳を超えたピーター・クックは、少しずつ教育現場に距離を置きながら、今度は、次々と、自身の建物を実現させる。人生は、転回しながら続き、建築と建築意識はその付随物として交感する。時代を用意したのは、ほかでもない、本人以外の何者でもない。 ピーターが初めて出会った日本人は誰か。「おそらく、間違いなく、磯崎。1968年に、ミラノ・トリエンナーレで、同じホテルに泊まっていた、そして、ロサンゼルスで3カ月、毎週末一緒に過ごした、UCLAで教えていたんだ、ロン・ヘロンと磯崎と僕とで」。 親愛なる、72歳のピーター・クック卿は、ロンドンの曇った冬空に、東京の晴天に、目を閉じることなく、踊るように、生き、建て、誰に止められることもなく、そ知らぬ顔で、あらゆる建築意識の産声に拍手する。拍手を聞いて、生まれる子どもの存在価値を、誰よりも、わきまえている。 [註]英文小見出しは言葉遊びであり、和文小見出しを英訳しているものではない。 初出:「10+1」 website, December 2008
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