

人の、顔、顔、顔。
ピナコテカの絵画に彫り込まれた、たくさんの顔が、私の記憶を追いかけてくる。
たった一人の、仕舞われた記憶を、何百人が、一度に引っ掻き回して、引っぱり合って、蜂の巣のよう。
どこに、どこに、どこに!
顔の大群は、私の記憶に、何を探している?
展示ホールのちょうど真ん中で、ぐるりと一周回転する、隙だらけの私の身体。
一瞬の間に、世紀を越えた顔の大群が、遠くから走り寄ってくる。
その速さといったら、もはや、足音もたたぬ駆け足で。私は、木偶の坊、されるがまま。
こわい気持ち、悲しい気持ち、うれしい気持ち、高ぶった気持ち、畏れ、驚き、敬い、痛み、生と死と永遠。
ピナコテカで真ん中に立つ私を取り囲んで、とりとめもなくつづく、顔のあとの顔のあとの顔に出会う、その間、私は、感情の通り道になる。
音をたてて、大量の感情が流れ込んでくる。
私は透明になり、ふと、その場に消えてしまう。
時間は、止まったように流れる。時が、私を避けて通る。
圧倒された私の身体を流れる、遠い血の音だけが、微かにすべての静止を否定する。
記憶は費やされ、蓄えを得る。
これらの顔は、存在していたということ。
画家の頭の中に、または実在したモデルの表情に、即ち、世界に。
彼らがそこに「居た」という強さが、私を追いやる。私の消失点をすら、遠く遠くへ設定する。
私が消えてゆく瞬間を記録するのは、イタリアの赤い太陽。
オレンジがスカイブルーにさよならを言う。
夕暮れ時に。
2009年4月23日(木)ピナコテカ(ブレラ美術館)にて